プラスマイナスゼロ指向

ぷらまいぜろで思ったことを綴ります。

セクハラヤジに思うこと。

このごたごたでふと思い出したことがある。
母のこと。
うちの母はパートや内職はしてたけど専業主婦で子ども二人という、典型的な昭和の家庭像のひと。

私が中学生のときに、ニュースだかで土井たか子さんが発言してるのを見て、「たかちゃん(と呼んでたと思う)、好きなんだけど、子ども育ててないからねぇ」といった。
つまり、子どもがいない女性には、子育てした私たちの気持ちは解らないでしょう、ってこと。
正直言って、これを聞いたときは母に失望した。

○○したことの無い人には解らない。って言葉が大嫌いだ。
母だって、のぞんでも子どもを得られない人の気持ちが実感できてるとは思えない。
だけど、実感できないからこそ、想像力で補って、理解しようと試みて、思いやるもんじゃないの?

子どもに恵まれない芸能人の夫婦に対して可哀想という言葉も聞いたことがある。
自分の人生を肯定するために、自分の持っている物を持っていない人を可哀想がることしかできないのだ。
小さい頃は、私も母みたいに専業主婦になって子どもを構ってあげたいって思ってたけど、大きくなるにつれて、母みたいに子どもが自分の存在価値になるような大人にはなるまい、って思うようになった。
なんとしても自分の存在の意味を家庭以外にきちんと持ちたいって思うようになった。

たぶん、このヤジに関しても、正論だの言う人はいると思う。
いわゆる王道を行く人って、ときどき恐ろしく鈍感だ。
中学生にさえ失望されるってこと、お忘れなく。